こんにちは、ぎばです。
雨の降る日に、家の中からその様子を眺めているのは気持ちが良いですね。
出かけなければならない場合は別ですが。
今日はわんこと引きこもりになりそうです。
先日、娘が突然「もし、おさしつかえなかったら」という言葉を何度も口にしていて、
「なにそれ。どうしたの?」
と聞くと、
「『エルマーのぼうけん』に出てきたんだよ」
とのことでした。
意味は分かる?と聞くとわからないと言うので、差し支えるは都合が悪いとかそんな感じで、”さしつかえなかったら”は”都合が悪くなければ(よかったら)”みたいな感じかなーと教えると、「今度学校で使ってみる!」と言っていました。友達びっくりしちゃうな!
そして、
「エルマーのぼうけんめっちゃおもしろい。続きも欲しい!」
と言われ、私はほくほくでした。いいともいいとも、買ってあげるとも。
なぜなら、二年ほど前に買って読み聞かせたのですが、そのときまだ幼稚園児だった娘にはさっぱり響かず…それきり本棚にしまわれていたのです。現在小学2年生。ようやく自分で手に取り、読んでみて面白いと思えるようになったのね、と成長を感じました。
はじめに口をきいたわにが、のそのそあがってきて、キャンデーをなめました。
「うまい、とびきりうまい!」
「さあ、もし、おさしつかえなかったら。」
と、エルマーは、いいました。
「あなたのせなかの上にのせていただいて、しっぽのさきに、わゴムで、二本めのキャンデーをくくりつけたいんですけれど、よろしいですか?」
「いいとも、いいとも。」
と、そのわにが、こたえました。(『エルマーのぼうけん』より)
「あとね、おもしろいんだよ」
「なにが?」
「キャンディーじゃなくてキャンデーって書いてあった」
まぁ…古い本だからね。あるあるだよね。
本から学ぶ言葉って、すんなり自分の中に入ってきます。
私もたくさん本を読んでいたためか、子どもの頃から「大人みたいなこと言うわね」と母や先生たちに言われていました。大変生意気だったという自覚はありますが、新しい言葉は使ってみたくなるし、使うことでしっかりと自分のものになっていった気がします。
近代文学などを読むと、もうわからない言葉だらけですよね。なぜ、たった100年、150年前の小説がこんなにも難しいのだろうと不思議に思いますが、日本語はそれだけ変化している。変化が進化であれば悪いことではありませんが、退化の部分も大いにあるなと感じます。昔の日本語というのは実に奥ゆかしく、熟語もその場面や感情にしっくりとくる言葉がたくさんあって、そういう言葉たちを知った上で現代を生きていきたいものだなぁと切に感じます。
そういうことから、現在娘の日本語検定受験に向けてゆるゆると準備中。
私は大学生の頃に2級を取得したのですが、娘はもちろん検定試験というもの自体が初めて。いい経験になると思い、いちばん初めの7級を受験させる予定です。本人にも簡単に話をしましたがやる気満々!鉄は熱いうちに打て!です。
日本人に生まれたからには正しい日本語を知ってもらいたい。
試験を受ける緊張感や、合格(できたら)する喜びを感じてもらいたい。
6月の試験に向けて一緒に頑張ろう!
ちなみに私は、張り切って1級のテキストを購入したもののどえらい難しく…え?なにこれ無理くない…?
やる気低迷中です。すみません。